【能登半島地震 ボランティア活動の報告】

日本認知症グループホーム協会から能登半島地震で被災された石川県の介護施設に人的派遣の要請があり、今回3月25日、26日の2日間、3名で災害派遣登録をしボランティア活動に従事しました。

派遣先は《グループほーむ もんぜん楓の家》に決まり、前日24日の20時過ぎに現地に到着しました。以下、写真を掲載しますが、施設長の岡山氏から利用者様の顔が特定できる状態は避けるようにとの条件のもと写真の掲載許可を頂いています。

グループほーむもんぜん楓の家は利用者定員18名(2ユニット)のグループホームで、同一敷地内にケアほーむもんぜん楓の家(小規模多機能)が併設されています。

令和6年1月1日の地震発生後、自治体から『ケアホームは地域住民の避難所にするように』と要請があったそうです。ケアホームの利用者様も被災されており帰宅できない方が多数おられた為、グループホームにケアホームの利用者13名が宿泊する事に決まり、合計31名がグループホームで避難生活を送っておられました。

ケアほーむ楓の家は車中泊をされていた方、避難所に入られていた方が来られており、本来は1名ずつ6部屋宿泊可能でしたが、多数の方を受け入れるため、2名で1部屋に入って頂き合計12人が泊っておられました。

3月25日は早朝5時半から利用者様の起床が始まりました。自然に起床しトイレに行かれる方や、夜間からトイレが頻回で、その流れで夜勤者が席に誘導されているケースもありました。夜勤者は2~3名体制を取っておられ、それでも31名に対しては十分ではない様に見えました。夜間は常にトイレ誘導とその補助だけで他の夜勤業務は全く出来ない様にも見えました。

私も簡単に身支度を整え利用者のモーニングケアのお手伝いをさせて頂きました。

5時半過ぎから利用者様を誘導し、そのまま朝食、トイレや口腔ケア、服薬を済ませ再び各ベッドや居室、唯一置いてあるテレビ前に移動が済んだのが8時半すぎ、ここから職員さん・ボランティアの朝食が始まりました。

食事は賄いを作る職員さんが2名、6時前に出勤してこられ、利用者、職員、ボランティアの分の準備をされます。25日の朝食は下記の写真のものでした。

保存食のわかめごはんはお湯を入れるだけ(または水を入れるだけ)で出来るもので災害時には大変有効であると思いました。缶詰のイワシ、これに利用者様にはバナナとヨーグルトが付いていました。

この日は特にラジオ体操やレクレーションを行う事はありませんでした。ボランティアで来られている看護師が6名おられ、バイタルチェック等を行い、10時30分くらいから再び昼食準備が始まり、利用者様が食堂へ移動、11時半くらいから利用者様の昼食が始まり、その後職員・ボランティアの食事が始まったのが13時くらいからでした。

25日の昼食は下記の写真のものでした。賄いの方がおかずを数種類作ってくださりタッパーに入れて置いてあります。これを職員は自分で取っていくスタイルです。昼食後には各地から集まったボランティアが持ち込んだお土産のお菓子を頂きました。

この日に確認できたボランティアの方は、我々京都府以外に、千葉県、静岡県、和歌山県、大阪府、福島県、から応援に来られていました。

(派遣元は全社協、DNSO,DC-CAT,グループホーム協会)

昼食後は利用者様を順番に回り、爪切りをさせて頂きました。グループホームの利用者様、ケアホームの利用者様が混在している事から、介護度、自立度の幅が大きく、要支援くらいの方から重度の方までがいらっしゃいます。

人数が多いのもありトイレ介助がメインになってしまいます。地震のせいで停電と断水を経験されていたので、暖房はエアコンを使わず石油ストーブと石油ファンヒーターを使用、洗濯機が地震で倒壊し使えない状態のため、利用者様の衣類は洗濯せずにゴミとして処分していかれています。トイレ失敗の汚染服や汚物が付着しても洗濯せずにどんどん次の服を着せていく、利用者様が持っていた服は使用せず、衣類は支援物資として大量に届いており、そちらを着用してもらっていました。支援で届いた衣類を仕分けるのに常時2名で仕分けておられました(男性用、女性用、上下服、下着類、またこれらのサイズ別)。

トイレについては、水は復旧したものの漏水があるため使えないトレイが多く、そのため居室を潰してトイレ部屋をつくられていました。トレイは『ラップポン』というポータブルトイレを使っておられ大変よくできた優れものでした。

上の写真の右側は従来使用していた現在使えないトレイ、写真左においてあるポータブルトイレが『ラップポン』です。排せつした後、スイッチを入れるとビニール袋の口が熱圧着で締まり、約1分ほどで床にポトリと落ちます。それをゴミとして捨てるのです。

次の下の写真2枚は居室を潰してトイレ部屋にしたものです。

グループほーむもんぜん楓の家では9名2ユニット(合計18名)が同じフロアに配置された構造になっています(ユニットAに9名、ユニットBに9名)。地震発生でトイレや職員・ボランティアの休憩所兼宿泊所、災害支援物資の保管場所が必要となったため、ユニットBの居室は完全につぶしてしまい、利用者用トイレ部屋、職員休憩室、倉庫となっていました。ユニットBの9名の利用者様、ケアホームから避難された利用者様はユニットAのフロアや廊下に段ボールベッドを置き、そちらで生活を送っておられます。段ボールベッドが隙間なく置かれている様子は被災地に赴き改めて非常事態であるという事を再認識させられました。1月にはコロナが発生し利用者様と職員全員が罹患するという事態が起きたそうです。感染症対策はしたもののあっという間に感染拡大し、ただただ目の前で起きている事態の対処を重ねるしかなかったとお聞きしました。

上の写真:届いた支援物資の置き場所の確保が難しく階段の踊り場に積み上げてある。
下の写真:暖房は石油ストーブを使うためポリタンクが玄関横に置かれていた。
下の写真:支援物資の置き場がなく廊下と洗面所の横まで支援物資が積み上げられている。


上の写真2枚はユニットBの居室を、職員およびボランティアの休憩所としているものです。その前のフロアで全員が食事をとる形となっています。

ボランティアの休憩所、宿泊所として駐車場にコンテナハウス、トレーラーハウスが設置されています。先にボランティアの方が他府県から来られている事に触れました。我々は京都府から自動車で約6時間ほどで行くことが出来ますが、ほとんどのボランティアの方が飛行機で小松空港まで来られ、そこからレンタカーを使って来られていました。

災害派遣登録の際、【認知症介護か】、【身体介護か】、【またはその両方か】、をチェックする項目があります。我々のチームはその両方で登録をしました。他府県から来られているボランティアの職種は看護師、デイサービス職員、理学療法士、訪問看護、歯科衛生士、とバラエティーに富み災害発生時にはお互い協働しそれぞれが活躍できる事を実感しました。

また職員の方々も大変ご苦労されておられますが、非常事態の中、認知症介護において細かい工夫をされ、無駄を省き、良い流れを作っておられると感じました。

26日の朝食後、我々ボランティアに『給湯器が使えるようになったので今からお風呂をします。出来るだけ多くの方を入れてあげたいので協力をお願いします。』と通達が回りました。8時半過ぎから10時半過ぎの約2時間で13名の利用者様をお風呂に入れる事が出来ました。シャワー浴でしたが職員さんの素早い行動があり、ボランティアが連携して入浴前の準備、入浴後の作業を担当し、あっという間でしたが13名の方にお風呂に入ってサッパリして頂く事が出来ました。


こちらはユニットAのフロアと廊下に並んだ段ボールベッドの写真です。段ボールベッドは隙間なく並べてあり、利用者様によっては自分の布団の上に私物(本や少しの化粧道具)もおかれていました。

段ボールベッドは予想していた以上に頑丈に出来ていて、利用者様が寝ておられるさらにその上に体重80kgの私が乗り込み介助をさせて頂いても全く問題ありませんでした。最初は壊してしまったらどうしよう、と恐る恐るでしたがその頑丈さは想像以上でした。

医療的ケアが必要とされている利用者様、身体的なハンディキャップがある利用者様はギャッジアップの付いた介護ベッドを使用されています。

ある職員さんから停電も大変だったが、断水が大変だった、という話を聞きました。
(ホームページから輪島市の停電解消は1月12日、水道復旧は通水が3月13日)
トイレの水を確保する為、川の水をバケツで汲んでいた、調理には災害支援物資のペットボトル水を使っていた、というお話でした。
今も、全館通水するとどこかに漏水箇所がある為、トイレの一部は川の水をポンプで汲み上げ使っておられます。水道とは別の水ルートを確保するためです。時々、『フィルター清掃が必要なんだ』、という事をお聞きし、汲み上げている現場を見せて頂きました。
こちらの施設では隣に写真の様な小川があり、ここから水を汲みあげています。
たったこれだけの事だが非常に助かった、と仰っておられました。
グループホームは生活の場であるため水は重要ですし、トイレに関する事も非常に重要です。
一見、たいして綺麗とは言えない小川ですが、この小川に大勢の人が助けられている事を実感しました。


今回のボランティア活動は自動車で行きましたが、北陸道・金沢東インターを降り、羽咋市を越えた辺りから、通行止めや迂回路の案内が出てきます。輪島市に入るとブルーシートをかけた家屋が目立ち始め、道路補修がなされ、時に山崩れで1車線交互通行の箇所がありました。海岸線を通りましたが、明らかに不自然な砂浜と海底の岩々が見え、これが報道で時々耳にする海底隆起で、こんなに広範囲に渡っている事に改めて驚かされました。

現地には、支援物資が十分に届いております。認知症介護が出来るボランティアが手ぶらで行くだけでお手伝いする事は沢山あります。

まだまだ完全に復興するには何年もかかる事でしょう。それまでに同じグループホームを運営する仲間として微力ながらお手伝いしたいと思います。今回は災害救助法の適用を受け、現地への交通費、食費、人件費が支給されます。出来るだけ長い期間を対象としてボランティア活動が出来るようにしてほしいと願います。

当然の事ではありますが、職員の方も被災されており避難所から通勤されている方が多数いらっしゃいます。自身も被災し仕事に出て来られる職員数が半分になっているとの事でした。自分自身が大変な環境の中、認知症介護に従事されている姿にひたすら尊敬の念を感じます。

報告者:西垣智之(グループホーム三愛の里うつね)